コラム 「信州安曇野の風景」

今回は私の第三の故郷である信州安曇野周辺の事を書こうと思う。

安曇野地方とは、中央線の松本駅から日本海側の新潟県糸魚川を結ぶ大糸線沿いの松本から信濃大町までの地域をさす。大糸線は、松本駅から北に向かうと、西に北アルプスの山々を見ながら、黒四ダムへの起点である大町、3つの湖が連なる仁科三湖、さらに北にむかってスキーのメッカである白馬、栂池を過ぎ新潟県に入って日本海に達する日本屈指の山岳鉄道である。

私が第三の故郷と呼ぶ理由は、高校二年生の夏休みから毎年この安曇野地方で一ヶ月近くを過ごしていたからである。
当時(昭和40年頃)この地方の民宿では、高校生・大学生を対象にした学生村という名の宿泊施設が開かれており、関東や関西から都会の喧噪を逃れて、勉強(?)を兼ねて避暑に来ていた。

旧開智学校 安曇野地方では、松本市を核として昔から教育・文化活動が盛んな土地で、建築物にも重要な建物が点在している。
国宝の松本城、重要文化財の旧開智学校、旧松本区裁判所(現・日本司法博物館)、蔵造りの建物が建並ぶ中町通など必見の建築物が数多くある。その中で旧開智学校は、擬洋風建築の代表的な建物として是非見ておきたい建物の一つです。
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明治維新以後、国の文明開化施策によって洋風文化の浸透は、建築意匠にも大きな影響を与えた。市井の大工棟梁の中で、洋風建築の影響を受け、見よう見まねで洋風建築の作り方を身につけた。擬洋風建築は、そのような大工棟梁によって和風と洋風を混ぜ合わせて建てられた建物であり、現在の清水建設の創業者・清水喜助もその一人である。
旧開智学校は、松本の大工棟梁・立石清重が明治9年に、東京の西洋館や擬洋風建築を参考に独自の手法も交えて建築した。詳しくは「日本の近代建築(上)・藤森照信 著」(岩波新書)を読んでいただきたい。

 

大糸線で松本駅から10駅目で穂高駅に着く。駅から歩いて10分ほど行くと、北アルプスの常念岳を背景にして、碌山美術館が見えてくる。
萩原碌山(本名・守衛)は、1879年(明治12年)ここ安曇野の穂高町に生まれた。ロダン彫刻に強く影響を受け、日本近代彫刻の先駆者となったが、傑作「女」(重要文化財)を遺作として1910年(明治43年)、31歳5ヶ月の若さで急逝した。彼は新宿中村屋の創始者である相馬愛蔵と同郷であり、生前、愛蔵・黒光夫婦と深く親交した。
碌山の死後、愛蔵を中心とした人々によって昭和33年に開館した。彼の遺作品と高村光太郎・戸張弧雁など碌山と親交のあった作家たちの作品が展示されている。建物の設計は、早稲田大学建築学部教授の今井兼次である。碌山は生前キリスト教の影響を受けたこともあり、美術館の外観はロマネスク教会風となっている。

春の安曇野は、北アルプスの残雪と麓の新緑の緑、桜やタンポポなどの花々が咲き乱れて、まさに桃源郷の世界である。穂高にはその他にも数多くの美術館があり、近くには北アルプスの雪解け水で栽培されているわさび畑など、見るものも多い。さらに大糸線を北上すると木崎湖、中網湖、青木湖の湖面に残雪の北アルプスが写り込んで、誠に美しい信州の風景を見ることができる。安雲野は、機会があれば皆さんも是非訪ねてほしい所である。

萩原碌山作「女」

萩原碌山作「女」
福田 健策